あるといる
こんばんは。
こちらでのんびりしたことを書くのは久しぶりかもしれません。
劇作家協会新人戯曲賞は一次選考まででした……でも、うれしかったのは、渡辺えりさんに読んでもらえたこと。同じ専門学校出身ですし、舞台や映画でもよく、これはこちらが勝手に思っているんですけど、知ってる方に私の作品を見てもらえたことが素直にうれしかった。
後、今、集まっている作・演出チームみんなが絶賛されている長田育恵さんにも読んでもらえたこともうれしかったなぁ……
落ちたのに、喜んでばかり。
何でも、やってみてナンボです。
心の芯からこう思えるようになったのも、本当最近かもしれません。
すごく意識するようになったことがありまして、それが今回のタイトル。
ある
いる
この言葉って、似てるじゃないですか?
でも、全然違う状態だと思うんです。
あるは、そこにある。無で、そこに存在する。
いるは、意志を持っている。個としている。
前は、いるが大事だと思ってました。
自分を持って、前に進むと言いますか、己を貫く強さ、みたいな。
でも、最近、あるの方が大事なんじゃないか?って。
さっきの説明だと、自分が無いみたいに聞こえるかもしれんけど、本当にそうなのか??
例えば、不測の何か起きた時、いるは必死にならないといけないじゃないですか。
それって、我慢に我慢を重ねるじゃないけど、常に頑張る人って感じです。
私は、それが正しい人の姿だと思っていました。
でも、東京に改めて出てきて、いろんな人を見ていると、それってどうなんだろうか???
と私には思うことばかりなんです。
そのことは私の範疇じゃないから、何もできないし、しようとも思わないけど……自分の考えが覆された、良いと思っていたものが実はそうじゃないかもしれない事象を目の当たりにしてますと、じゃ何がいいんだろう?って自然に考え続けた訳です。
そういう時に自然に関わることをたまたましまして、自然って、すごいんですよね。
何でもOKなの。
そういうのを見てると、あれ、何で苦しんでるんだ????となる訳で、
そもそもを考えると、「そこにいればいいのか」って。
でも、このいるは意志を持っているんじゃなく、そこに存在するの、いる。つまりは、ある。
って考えると、私が何かする、何かになる、目指すよりは、
その時々現れる選択、つまりやりたいことを素直に選べばいいんじゃなかろうかという結論になりまして、実践中。
まだ、成果をよくわからないんですけど……楽しいよね、その都度、選ぶんだから。
固く握っていた手を離す、そんなイメージですわ。
思えば、それをすることで救われていた私もいた訳で、……だけど、なんかもう違うの。
それよりは、その時、体験したい方を存分に味わいたい。
それが大海原の荒波であっても、日光浴が気持ちよい森の木陰であっても、同じように楽しみたいのです。
自然のように生きていきたい。
そういう心境で迎えたから、能天気に喜んでられるのかも。
最後まで読んでもらって、ありがとう。
またね。
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